当たり前の事だが、人間は二足歩行する動物である。 両腕が体を支える必要の無くなったことで自由に使えるという権利を得たが、立ち上がってしまったが故に、体は引力に強く曝される結果となった。 動物として地球に存在する以上、元来不安定な状態であるこの「立位」において、骨格や筋肉は現代まで更なる進化を遂げるが、未だにその不自然さは、解消されていない。 それが証拠に、その重力に抗する事が出来ず、数々の疾患に陥り、治療等の名目で、体を癒さなければならないからだ。 他の動物が腰痛や肩こりに悩まされているなど聞いた事がない。
ところが反面、人間はその二足歩行が武器になる。 何が武器なのか。 ご存知の方も多いと思うが、鳥類以外を対象とするなら、その移動できる距離が他の動物を圧倒している。 進化の過程においても、自然の中、突然の環境変化にも耐えうる能力を得たとも言えるだろう。 1日に100kmを越すような過酷な距離ですら、移動する事が可能だという。 私の想像だが、四足歩行するよりも、二足歩行は結果的に省エネなのではないかと思う。 つまり、体を支えようとすると不安定な立位ではあるが、移動するについては、むしろ都合が良いのかもしれない。 その必然として、体の筋肉は、それをも可能とする能力を持っているのであって、筋肉のみならず、その動力源や、栄養を蓄え供給する能力を持っていると考えるのである。
しかし、現代の生活環境というのはどうだろう。 利便性が飛躍的に高まる一方で、人間が何かの為に歩かなければならない距離というのが、著しく少なくなっているように思う。 まあ、自宅で治療院を開く私など、実質的に通勤がないから、偉そうなこともいえないが、交通機関の発達は、正にその最たるところではないだろうか。 このために・・・というのは少々言いすぎかもしれないが、体力のみならず、歩行の能力は低下し、もはや用を成さなくなってきている筋肉すらあるやに思う。 無論、いまさら古代に戻る事は出来ないが、今回はリズムという観点から歩行というのを見ていこう。
歩行のリズムであるが、テンポを決めるのは、腕の振りである。 メトロノームと同様に、速く振れば歩行ピッチが上がり、遅く振ればペースは落ちる。 大きく振れば大股になり、小さくすれば僅かな歩幅となる。 また、時計の振り子のように歩行の動力源にも値し、体に反動が起こり、その反動が下肢を起動する役目も担う。 例えば、垂直に立って歩く時と同様に両腕だけを振ってみて欲しい。 足を踏ん張っていないと、体は捩れ左右前後に揺らいでしまう。 ところが、足踏みを始めると、途端にその揺らぎは治まり、体は自然と自身の正面を向いていく。 逆に手を振らずに歩くとどうなるかであるが、実際にはその腕に代わり肩が動いて、その反動を生み出しているのである(ポケットに手を入れて肩で風切るような歩き方)。 つまり、肩を固定した状態では、誰しも思うようには歩く事は出来ないのであって、腕の振りが重要なのは、この事からも言えるだろう。
歩行には、ある周波数が存在し、一定のリズムを刻む特性がある。 周波数といったのは、その足音のことからだが、このリズムには個人差があり、身体的特徴も良く表すことから、正に指紋のようである。
上述したが、歩幅やそのピッチによって刻まれるリズムであるが、同じ歩幅・ピッチであっても、個人個人全く異なる。 これは、足の運びが、腕の振り方に依存している為で、その腕の軌道によって異なった付き方をする。 腕を概ね真っ直ぐ前後に振ると、足は踵から付いてつま先から離れていくような軌跡を描くが、腕を体の前でやや斜め左右へ振ると、足はいわゆる内股となる(引き歩きとも言う)。 逆に、腕を体の後ろから外に向けて振ると、足はいわゆる蟹股となる(押し歩きとも言う)。 これらに、その人の体格という要素が加わるが、正に天文学的な種類のリズムとなるだろう。
では何を以って治療に役立てるのかだが、無論それは足音である。 私の頭の中にあるデータなのでお見せする事も適わないが、どう歩くとどういう音がするのか、その人がどんな状況にあるのか、分析し見極めているのである。 それは、来院されてから帰られれるまでの全てであるが、例えば待合室に入ってから、更衣室までの足音であったり、更衣室から施術ベッドまでのものであったり。 人間というのは、無意識の時の方が、より鮮明に自己を表現しているので、たった数歩かもしれないが、私にとっては重要な時間である。 その中に、時々妙な音を聞く時がある。 私はこれを雑音と呼んでいるが、簡単に言えば、左右で音が違うのだ。
腕の振りを見れば、左右違っている事が殆どで、特にその振り幅や方向に違いが有るようだ。 もちろん足音は、私にとって情報源にしか過ぎないのであって、これを修正する為に治療しているのではないが、治療後、改めて足音を聴いてみると、症状が軽減したという人ほど左右差が無くなる傾向が強いようである。
また、こういう経験をする事が多い。 体調が悪く、治療を重ねていた人が、症状の改善と共にその左右差が無くなって来る。 抽象的な表現だが、最初は、どこかどんよりとした感じの足音であったものが、明るくハツラツとした足音に変わっているかのようでもある。 確かに、重い症状を抱えていた人が、そこから開放されただけでも、明るくもなろうと言うものだが、治療を施す側としても気持ちの良いものである。
以上、歩行というものについて簡単に述べてきた。 その考察として、その健康を害しかねないネガティブなリズム、或いは健康が保たれるようなポジティブなリズムというものがあるのではないかと思うのである。 もしこういったリズムがあるのならば、ネガティブなリズムでは、行き着くところの何らかの疾患に陥り、ポジティブなリズムは、良好で全機的な恒常性を維持しているが故に表現されているのではないか、と一応に結論付けたい。
ただ、どれがベストなのか、どう歩けば良いのか、或いはどう分類するのかは、非常に困難だし、空を掴むようなものであり、個人差と言う高い壁にも阻まれる。
と、少々煮え切らない終わり方になってしまったが、自分の足音を改めて聴いてみると、何か発見があるかもしれません。 但し、足音ばかり気にしていると、腕を振らなくなり、妙な歩き方になってしまうのでご用心。