近年、リラクゼーションをテーマとした施術院を各所で見かけることが多くなったように思う。 特にコメントは避けさせてもらうが、こうした施設が増えれば増えるほど『ストレス社会』という反動を垣間見ているような気がするのである。
リラクゼーション(Relaxation)、直訳すれば『緩和』という事になるから、日々の緊張を解すような『休養(Rest)』や『慰安(Comfort)』としての意味があるように思う。
さて、ではそのリラクゼーションについて、カイロプラクティックではどうだろうか。
誤解を恐れず書くが、私は『カイロプラクティックは治療である』と考えるのである。 無論、それがリラクゼーションと遠くかけ離れた位置にあると言うのではない(これについては後述する)。 カイロプラクティックの起源を辿れば、創始者たる、かのD.D.パーマーが、ハービーリラード氏の(突発性)難聴を脊椎へのアジャストメントによって治したのだから、これは治療と呼ぶべきが正しいと思うからだ。 しかし、日本国内において、カイロプラクティックは民間療法の域を出ていない。 そんな施術が『治療』だなどと言えた身分でない事もわかっているつもりだ。 ただ、当HP各所にて施術とすべきを一部において治療と書いているのは、その為である。
ところがである。 臨床というのは実に複雑に入り組んでいるのであって、患者さん(これまた元来はお客さんと呼ぶべきか?)の要求は実に多岐にわたる。 単一的な症状でいらっしゃる方など極少数と言ってしまってもいいだろう。 肩こりや腰痛といった一般的なものに、四肢の症状なども加わってきたりもするが、一番多いのが全身疲労感である。 恐らく6割強の人は何がしかの症状と同時にこれを訴える。 この症状のみの方もいらっしゃるが、実に抽象的で、尚且つ局限的ではない。 もちろん、カイロプラクティック流の解釈で治療を行っていくのではあるが、リラクゼーションの雰囲気が多少色濃くなってくるのは、致し方ないところかもしれない。
ただ、その疲労感、果たしてどうなのだろうか。
私は、こう考えるのである。 仕事やスポーツで著しく不利な姿勢や動きなどを強いられたと言う場合を除き、バランスを欠いたことによる筋肉疲労、同様に起こる生理学的な問題(例えば足のむくみ等)というのは、その根本を治すという意味において、カイロプラクティックの独壇場ではないのだろうか。 これはカイロプラクティックの主たる、背骨(脊柱)への治療というものが、これらを正す方法として最適であると思うからだ。
確かに、体の疲労を訴える方では、各所の筋肉がパンパンに張っているような状況であって、とてもじゃないが背骨にだけ治療を施し、後は自然治癒力に任せ…などといえるような状況ではない。 当然、治療家として見捨てられるものではないから、その治療の補助的なものとして何がしかの方法を以ってマニュピレーションを施すことはする。 しかしながら、筋肉の不均衡や自律神経系からくる緊張感、はたまた代謝的・循環的な問題など、その『疲労感』へと結びつくような症状・状態というのは、カイロプラクティック治療の範囲であり、十二分に対応可能…いや、最適ではないのかと考えるのである。
兎角、背骨の歪みだけを診ているのではないかと思われがちなカイロプラクティックではあるが、実際には『木を見て山を見ず』ではなく、『木も見て山も見る』のである。 また、カイロプラクティックでのアジャストメントの指標となるサブラクセーションの定義には『…関節構造の解剖学的、生理学的、動力学的な機能失調…』とある。 この言葉の意味するとおり、私たちカイロプラクターは、物体的な背骨の歪みだけを診ているのではない。 表面的なもの以外にも何故その症状が起こったのかといった奥底に潜むような問題までも模索しているのである。
縁側でお孫さんに肩たたきを頼んで、『ああ、気持ちよかった。 はい、お小遣い。』というのは、実に微笑ましい光景である。 ただ、辛くなる前に是非一度、カイロプラクティック治療を受けてみてはどうだろうか。